2008/01/21

Do you understand this car's name?

Do you understand this car's name?
This car made by 103years ago.
みなさん、この車の名前当ててみてください★
103年前に製作されました。

The correct answer is 'Renault 2-seater phaeton' produced in 1905.
But!! This car isun't car.
It is a car for children. So....Of course, there are neither gasoline nor an engine.
It is a pedal type.
I 'm surprised because there was such a car 100 years ago.

正解は1905年式の『ルノー 2シーター フェートン』でした。
でも!!これは自動車じゃないんです!
子供用の車なんですね。 もちろん、ガソリンもエンジンもありません、ペダル式の車です。
100年前も前に、こんなにしっかりした車が製作されていた事実に衝撃を受けました。
子供が使用することを考慮し、ハンドルは直径25センチ位です。イスは、脚周りを波型にすることにより、しっかりフィットし安全性の高い印象を受けます。そして、高さを加えることで、前方の視界が広くなり安全性はもちろん、自動車特有の開放感を存分に楽しめる作りになっていますね。また、本皮を使用することによって重厚感を感じさせますが、ボディーのメタリックグリーンと独特の曲線のおかげで重苦しくなく、ライトな印象です。  一番関心したのが、スタイリッシュな容姿。職人が一つ一つたたき出してはじめて出来る独特の曲線。 同じ角度の部位は2つとありません。複数の曲線が集合することによって、複雑な陰影が生まれ、見る角度によって印象が全く違う。
『おもちゃのくせに、高級じゃないの?』と一瞬思いますが、これが何でも機械化してきた私達の忘れている事じゃないでしょうか。便利になること、それはとても素晴らしいことだけど・・
今の自動車業界(に限らないけど)に足りないものは『愛』と『引き算』だと思う。
自動車をもう一度、愛してほしい。 愛された物は、いつになっても みんなに愛される、100年前のルノーを見ると、そう思わずにはいられません。  
そして、足すことを思い切って辞めるんです。
車に限らないことですが、本来『物』は最小限の装備で地味で十分。そこに個々がオリジナリティを加えたり、使い込んで味が出てくることによって初めて『愛車』と呼べる。
それなのに、勝手に車が駐車してくれる、カーナビがどんどん高度化する、エンジンなんて壊れない・・etc・・・ 
これ以上 何を足すんでしょうか? 足しすぎた結果、地球に迷惑をかけ、水素だのハイブリッドだのに目を向けざるえなくなってしまった。原点に戻ったわけですね。だって、ハイブリットなんかはガソリン車が生まれる前に開発されていたんですから。
しかし、それらを産んできた日本の技術力、これは本当に素晴らしいし誇りです。 ではなぜ、最高の技術を無駄な方向へ使ってしまうのか?それは『大量生産』『大量人材』という考えの影響が大きいと思います。
工業製品業界にはエンジンアを始め、人を投入しすぎ、生産しすぎです。 奥山清行さんの本で読みましたが、世界中を走っている高級車『フェラーリ』。 様々な分野の専門の職人さんがいます。日本ではすべてコンピュータで処理してしまうため、細かいところは上手くできなかったり、良くも悪くも機械が頼りなのでトラブルが起こると、製品そのものではなくコンピュータや機械を直すことに一生懸命。しかしフェラーリではそれぞれの分野の職人が一台一台手直ししていくので、細かいところまで美しく、スピーディです。 その職人さんですが2、3人しかいない分野もあるそうです。彼らが全員さぼったらお手上げ状態ですが、フェラーリは一人ひとりがスペシャリスト。分野の違いはあるけれど、それぞれが製品を正確に理解しているんですね。
そして、悲しい事ですが 今 自動車はそこまで必要とされません。電車やバスが発達し、それこそ首都圏では自動車よりも公共機関のほうが都合がいいはずです。
だからこそ、少量生産で職人の手でいい物を作るやり方に変えていく必要があると思うのです。
先進国として上り詰めた今、方向を、見方を変える必要があるのでは、と感じます。

ちなみに、日本で初めて国産車が開発されたのは明治41年(1908)の、吉田式国産自動車です。
当時の日本の遅れに驚きますが、その後の発展スピード、そして今日の自動車シェア世界一の日本の姿を、誰もが予想できなかったと思います。 
吉田式国産自動車は、吉田真太郎が明治29年に自転車の『輸入販売業双輪商会』を設立したことにより始まります。輸入から、乗合自動車、ハイヤーと様々なビジネスを展開し その傍ら、自動車開発をしていたのです。
明治41年には8台の自身の開発車で甲州街道をパレードしています。
しかし、のちに彼は自動車業界から引退し、熱海で温泉掘りに生涯を捧げ人生の幕を閉じました。

詳しく書くと切が無いので、簡単に書いておきます★ ルノーのような玩具が実は、日本でもあったんですよ。そちらは後日紹介します★